人材育成研究事業

「とやまファン倶楽部」について

会員交流

会員の皆様からいただきました「メッセージ」です。

富山を身近に感じたこと


K.A
 北海道の富山県人会の皆様に大変お世話になっています。ふるさと富山とふかりのある皆様の益々の発展を祈念しております。
 
J.I  
 最近、コンパクトシティのモデルとして富山の仕事や生活が紹介されることが増えてきました。
京都でもバスの停留所は今や富山並み、フランス風ではありますが、それなりに定着してきました。益々の展開を期待しています。
 
 K.K
 富山との往来もようやく自由になりそうです。冬の富山の寿司カウンターに久しぶりに座るのを心待ちにしています。

K.H
 先般(5/31)、3年ぶりに開催された東京富山県人会連合会の「懇親のつどい」に出席しました。叙勲の記念品をいただくとともに、新しく就任された新田知事をはじめ、多くの方々とお会いし、語らい、懐かしい思いに浸りつつ新たな精進のための力を得ることができました。  
 その際、会場には朝乃山関の大きなパネルが設置されていました。彼はいよいよ、この7月の名古屋場所で三段目からの再出場となりますが、厳しく気を引き締めて、復活のため、よほどの頑張りを積み重ねていく強い心組みを期待しています。
 
 Y.M
  先日、横浜で開催された自動車技術の展示会で、不二越やタカギセイコーといった富山県関係の企業が出展されていて、大変心強く感じました。 今後も、富山から全国に、そして世界に羽ばたいていくことを期待します。

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今後の富山に期待すること


A.I
1 新jc知事の手腕に期待。
2 富山駅から乗ったタクシーの運転手さん曰く「知事と市長はバラバラで、市長はテレビに市電の絵が出て有頂天、知事は駅前ビルでモタモタ」・・・数年前の話。
3 金沢を旅行して、あまりの違いにガッカリ。
ア なぜ総曲輪を放っておくのか?
イ 立派な能舞台も結構ですが、常設・おわら節・麦屋節は無理?
ウ かつて、中沖知事が近畿富山県人会総会挨拶で「是非おわら節の八尾へどうぞ」と挨拶したので、バス1台で行ったところ「駐車場がなかった」という珍事をご存知でしょうか?
エ 砺波のチューリップは、昭和20年代に農産課の米沢作造技師の発案により、経営不安定なチボ芋からの転換を奨励されたことに始まりますが、30年ほど前の有名だった「富山・砺波のチューリップ」は今いずこに行ったのでしょうか?
 
H.I
 高校の同期会に参加し、60年振りの再会もありました。国際交流の場をもっと多く持つことを富山に期待します。
 
K.K
 インバウンドが復活するのにあわせて、ラグジュアリーツーリズムの日本の中心になってほしい。高いだけでなく、満足感のある旅行を!
 
K.K
 他府県に比べて災害も少なく、雪さえ除けば「海の幸、山の幸、そして人の幸」がある。それが富山とPRをし続けてほしいです。
 
Y.H  
 富山県立大の仕事のお手伝いをしています。非常に優れた大学に発展しています。日本全体さらに世界に向けて人材育成の強化を期待しています。
 
H.K
 日本海側の日本のハブ港を開発して、東アジアの玄関とし、物流・文化の発信地になることを期待します。
 
F.A  
 富山は御国自慢が50以上あった事があり、無限の発展を秘めた最高級の県であり、我が県こそ、海と山に恵まれ、全てに優れた日本一の県である意識を高めることが必要である。
 
T.M
 素晴らしい自然や文物を活かした観光立国
 
K.M   
 最も住み良い県として、各種会合等でPRしたい。
 
K.M
 映画「大コメ騒動」では、製作から公開まで、富山県の皆さまに大変お世話になりました。
心より感謝申し上げます。
今後も「映画県とやま」のご発展を祈念しております。

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富山での思い出

M.O    
  幻想的な青白い光を放つホタルイカ漁、威風堂々とした立山に雪の大谷、松川の桜並木・・・短い勤務でしたが、富山は別世界でした。またゆっくり訪れたい!
 
 K.O
 私の趣味はゴルフです。私は1997年から2000年までの3年間、NHKアナウンサーとして富山放送局に勤務しましたが、その間に様々なゴルフ場で多くの方々とプレーを楽しみました。
 中でも印象に残っているのは、2000年4月30日に行われた第20回富山県東京六大学OB親睦ゴルフ大会です。この日は113人が参加して呉羽CCで盛大に行われ、私は法政大学OBとして初参加でしたが、なんとか法政大学の”3連覇”の栄光に貢献することができました。表彰式で私は司会の大役を任されて、緊張しながらも法政大学の優勝を祝いました。
”趣味?は身を助ける”ではないですが、ゴルフを趣味にしていたお蔭で、実に楽しい富山の思い出を作ることができました。えっ、この日の私のスコアですか?それは美しい思い出のために内緒にしておきましょう。
 
S.S 
 上京して50余年、富山の歴史・観光・食材等について、千島歯舞諸島移住者連盟の語り部の機会を通じ、伝えてゆきます。

 T.M  
 5/21で85歳になりました。富山工業高校(昭和30年卒:A.建築科)時代のことが特に良い思い出になっており、妻を連れて訪問しました。
野中先生が103歳で亡くなり残念でしたが、当時、構造力学の担当で、後年、立山町に訪問した時に「君は、力学が弱くて困ったものだ。なのに、クラスで3人目の一級建築士に合格した時は、涙が出た」と仰っていたことが想い出です。
※小説「有磯海に夕日が沈むとき」を発刊(1990/1/20)しています。
 
G.H
  富山では、魚津の洗足学園音楽大学によく行っていました。
富山で国際音楽祭を開催していましたが、続けてもらいたいです。

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会員の皆さんにPRしたいこと

 I.I
 令和311月8日、富山市大山歴史民俗資料館の令和3年度企画展関連講座『黒部源流山小屋暮らし』と題する講演が、小見コミュニティセンターで行われました。
 講師の大和景子氏は、講演の結びの言葉として、
『父親の勤務の都合で日本全国を転勤し、いろんな土地で住みました。また、私自身旅行が好きで外国、特に発展途上国に行きました。山や渓流が好きで大学ではワンダーフォーゲル部や社会人団体の山岳会に所属して、黒部源流を通過したときに、日本でこんなに素晴らしいところがある、ということに気づき山小屋で働きたくなり、薬師沢小屋で当初はアルバイトしました。富山県は自然がすばらしく食べるものも美味しく人もあたたかい、山の近くに海もある。世界で一番素晴らしいところであります。こんなところに住みたいと想い、東京から1年前に富山 へ引っ越しました』
という趣旨の話がありました。

 私自身、講演には出席しておりませんが、大山歴史民俗資料館のDVDを見ましたところ、愛知県生まれの彼女ほど、富山の良さを感じ取った例がなかったので、感動をお伝えしております。
  なお、大和景子氏は著書『黒部源流山小屋暮らし』(2019年4月、山と渓谷社刊)を発行し、 富山県内の小学校全校に寄贈しております。本は韓国でも発売されております。

K.O
 富山県には立山、お米、水、新鮮な魚、お酒等、たくさんの素晴らしい物がありますが、最も素晴らしいのは、富山県民の人間性だと思います。  
 
T.O
 最近のTV番組で、富山の豊かな山や海と共に、鉄道網からの景色や山海の食材の豊かさを教えてくれると同時に、世界的なレベルのレストランが紹介されており、驚いています。 年に1回はきっと挑戦します。

S.K   
 富山県は、県土面積は必ずしも大きくはないが、海抜3000m級の立山連峰から海抜0mの海岸まで、さらには、1000mの深海底まで、実に自然環境の多様性に富み、美しい所である。
しかも、水資源にも恵まれ、水が美味く米が美味く酒が美味しい所、加えて、魚も美味く、本当に日本一住みたい所と言ってよい。
 
T.S  
 「越中おわらを楽しむ会」についてはホームページでご案内しております。私も会員で、男踊りのメンバーの一人です。
 先日5/31に東京富山県人会連合会の「懇親のつどい」がホテルニューオータニで開催されましたが、その際に、我々の会も踊らせて頂きました。
  現在の会員も高齢化してきておりますので、会員を全体にもっと増やしたいと思っております。(地方、唄、踊り全て!!)   【連絡先】046-836-1887:福野(幹事)

T.S
 2022年7月より都内の公益財団法人にて、文化芸術の推進等に関わる仕事をさせていただくことになりました。 私自身の演奏・指導経験を活かしつつ、地域住民の方々とともに文化芸術を通して生き生きと過ごしていただく環境を作っていきたいと考えています。富山で生まれた「きときと」な気持ちを、いつまでも忘れることなく尽力したいと考えています。

Y.T
 コロナ禍前は、年5~6回帰富し、富山に住んでいる友人達との交友を深めていました。私は油絵を描くことを趣味としており、コロナ禍が落ち着いてきた今、中学校の恩師(水彩)とクラスメイト(水墨)とのコラボでの「グループ展」の開催に向けて準備に入っています。開催の暁には、私の今まで富山で関係のあった方々を招待するつもりで。私の富山の「集大成」となります。

M.T
 (公財)日本科学協会では、2013年度より科学自由研究に興味を持った高校生(中学生も状況によって対象)を大学や研究所の専門研究者にマン・ツー・マン指導(ボランティア)していただく「サイエンスメンター・プログラム」を実施しています。
指導は研究成果を高めることではなく、科学研究の進め方の基本を教えることで、メールなどのオンラインが基本ですが必要に応じて対面指導も行います。 応募は随時可能で、書類とオンライン面談審査で採択を決めます。研究の内容が固まっていない場合には研究相談も受け付けます。
身近に該当しそうな生徒がおられたら、是非、チャレンジするように勧めてください。
プログラムの詳細や過去の実績、メンターを引き受けていただいた方々などのリストなどは次のURLアドレスを参照してください。 https://www.jss.or.jp/fukyu/mentor/

T.H
 愛知県津島市で富山料理の和食店を営んでいます。富山の良さを沢山PRしたいと思っております。

K.N(東京井波会副会長)
 富山県には伝統工芸として高岡銅器、漆器、菅笠、五箇山和紙、井波彫刻など日本が誇るべきものがあります。生活様式の変化に合わせて新しい用途をそれぞれに工夫しています。
 井波彫刻では建てられなくなった和室向け欄間に代わり木彫刻の看板の普及に努めています。小は表札(干支を彫り込んだものとかデザイン自由)から大は最近建ち始めた木質高層ビルの看板や内装、さらには観光地の案内標識までいかようにも制作します。他にも、取り壊される古い家の大黒柱から大黒さんの彫物、ペット再現の彫物などもいかがでしょうか。
井波彫刻協同組合までご一報を。(連絡先0763-82-5179)


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富山県の施策に助言

I.A 
 富山県の生涯学習に様々な面で関与いたしました。 益々のご発展を期待しております。  

T.A
 今年で富山県、特に黒部市と付き合いを始めて約30年になる。
 黒部市で行われたYKK主催のデザイン会議(その頃の40才位までの若手建築家を集めて次世代の建築や社会の在り方を問うというものであった)に選ばれて参加した。
  偶然その会議に主催地の荻野市長が出席しておられ、私達の世代の熱い討論に感動され、市政40周年の記念で建設しようとしていた国際文化ホールを組織事務所等に頼むより若い人たちに頼みたいと思い、日本建築センターの澤田理事長に問い合わせた。
 審査委員に黒部市から荻野市長、日本建築センターから大川陸、建築家の池原義郎、内井昭造、建築史家の近江栄が選任された。提案者は私以外早稲田出身の人たちで、審査委員長も含め二人が早稲田出身なので、これはダメだろうと思った。銀行のコンサルタントが提案したプログラムが、劇場が3つもある多大なものだったので、こんなものを作ると市の財政を圧迫するし、市民が本当に望んでいるかが分からない。市民の人たちとワークショップを行ってプログラムを作り直すことが重要だと半ば開き直って提案した。池原先生から理想的なことを言っているが本当に出来るのか聞かれ、出来ると思います。やってみなければ分かりませんと答えた。これで負けたと思って東京に帰ったら、勝ったと聞いてびっくりした。
 荻野市長は懐の広い人で、建設は市政40周年を辞めて41周年にすることを議会の人と話し合って決めてくれた。結果、富山県が現在行われている日本のプロポーザル・コンペの原点となり、本格的なワークショップの原形となった。
 完成した建物は建築学会賞(作品賞)に選出され、劇場の歴史の本の中にも入れるようになった。今年にはJIAの25年賞(25年以上の長きにわたり、建築の存在価値を発揮し、美しく維持され、地域社会に貢献してきた建築に送られる賞)を頂いた。こんな機会を与えてくれた黒部市が好きだし、その時の関係者の人たちと今でも付き合っている。
  その後中沖知事の時にコンペがあり、砺波で散居村を作り、とやまファン倶楽部にも加わった。自分の生まれた島根県や住んでいる東京よりも身近に感じている。
 ところで東北大学教授の五十嵐太郎氏は「半東京としての地方建築を歩く01〈現代建築のまち、黒部〉」として黒部市を高く評価している。
 黒部市には私たちのコラーレ、槇文彦のYKKの前沢ガーデンハウス(JIA25年賞)、YKK50ビル、YKK64ビル、丸屋根展示館、健康管理センター、吉田忠雄記念室、パッシブタウン等があり、大野秀敏、宮崎浩などの槇事務所出身の人たちが一連の建築や街づくりをしている。そして私も少し教育に加わったAA school教授ロン・ヘロンによる風の塔、スペインの建築家エンリック・ミラーレスの想影展望台、オランダの建築家ヘルマン・ヘルツベルハーのYKK黒部寮、長谷川逸子の黒部特別養護老人ホーム等がある。
 黒部市にはこれだけ街に魅力的な建築があり、見学者も多いにも係らず、何故かいつも黒部ダムと宇奈月温泉だけで街の紹介が終わっている。是非黒部市の紹介に建築も文化的要素として加えて欲しいと思う。
こんな時こそ、県のブランディングが大切と考えています。県の発信のやり方を考え直して欲しいと思うのは小生だけではないように思います。
 
Y.O
 2年以上にわたるコロナ禍で、”ウイズコロナ”、”アフターコロナ”などの概念や言葉のもと、テレワークやテレワークとリアル勤務のバランスを考えたハイブリットワークなど、人々の働き方や生活スタイルの変化が出てきた中、新幹線で東京から約2時間の富山県は、北陸の産業拠点、経済拠点でもあり、若い世代、子育て世代の移住先として魅力的な場所であることを、ぜひ積極的にアピールしていってほしい。
単なる観光地ではなく、”職と住”の日本の新時代を象徴する県になれると思うので期待しています。
 
K.K
 せっかく東海北陸道で富山と名古屋が道路(セメント、コンクリート)では繋がっているのですが、1km毎にあたかも関所を通り抜けるがごときの料金制度に抵抗があります。定額料金化をしてください。
 
T.T
 大学から関西に来て大阪で就職して30余年。以前はJR大阪駅発サンダーバード(昔は雷鳥)富山行があり、大阪に居ながら電車に乗れば、富山に帰省できる!であったが、北陸新幹線開通後、金沢(和倉温泉)止まり・・・新幹線に乗り換えれば済むものの、近くて遠い場所に感じております。
 実際、他の関西人の方から「関西の奥座敷、北陸とやま」のイメージが最近薄れてきているという声も聞きます。ぜひ、大阪を含めた関西圏での富山PRを積極的に図っていただきたく!
 
K.T
 特に県の東部地域において、市町村合併をより強力に推進し、財務体質をより盤石にすること。

Y.K   
今春、立山黒部アルペンルートを観光しました。改めて、このルートが国際的にも優れた一級の観光地であることを確認しました。環境保護しつつ、もっと外国人客を誘致する方策が望まれます。
・高岡を軸として、能登と五箇山合掌造り集落を連結するルート開発が望まれます。

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その他

H.U
 千葉県佐倉市に平成元年(1989年)に住むようになって30年が過ぎました。富山に行く機会もなくなってきました。
私のイニシャルがH.Uで、仲間たちからは「越中(HU)」と呼ばれています。

N.K
 大相撲ファンの私は、名古屋場所に1年振り復帰の「朝乃山」さんを、もう一度、応援したいと思います。

S.T  
・SNSで北日本新聞写真部撮影の風景を眺めるとき、富山を身近に感じます。
・人口・面積・産業と均等のとれた県となることを今後の富山に期待します。何より人口減が進まないよう頑張ってください。
・富山での思い出は附属中時代で、とても懐かしいです。 ・神奈川県在住の方は、ぜひ県人会に参加してください。

K.H
 私はいつも自慢していることは、松井秀喜さんの奥様が富山県人であることです。この奥様の母上は私の井波高校の後輩です。東京井波高校同窓会長を務めた私として、ちょっぴりの誇りです。

N.F
 7/15(金)の会員交流会が盛会裡に終始しますことを祈念申し上げます。
会員交流会が東京だけでなく大阪又は京都でも開催くださいますようお願い申し上げます。

A.M
 今年はマラソン等で富山に三回行く予定です。既に、黒部名水マラソンで行きましたが、このあと、上市マラニック、富山マラソンの出場を予定しています。いつもその前後で宿泊し観光も楽しませていただいています。また、10年以上前に2年間赴任していた時に知り合った方々と旧交を温める機会にもなっております。
7/15(金)の会員交流会で、新田知事にも本当に久しぶりにお会いできるのを楽しみにしております。


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